
「民間信仰や宗教とテクノロジーを融合させる」100BANCH実験報告会

「一見、何の役に立つのかわからないようなことに、謎のエネルギーを注げるのは、若者の特権だと思います。今のうちに、存分にエネルギーを暴れさせてほしい。」
そう語る市原は、2019年9月に100BANCHに入居。「キャッシュレス時代の奇祭をつくる」というテーマを掲げ、『仮想通貨奉納祭』を東京・中野区の川島商店街にて開催しました。その後、東京藝術大学大学院にて先端芸術表現を専攻。現在では作品の制作や執筆活動に加え、大阪・関西万博 「日本館基本構想事業」クリエイターを務めるなど、活動の幅を広げています。
そんな市原が、自身のアーティストとしての来歴や、100BANCHでの経験がその後のコミュニティ型プロジェクトにどうつながっていったのかを振り返りました。
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市原えつこ|美術家 1988年、愛知県生まれ。早稲田大学文化構想学部表象メディア論系卒業、社会人として東京藝術大学大学院先端芸術表現専攻に入学し、2025年に修士課程を首席で修了。日本的な文化・習慣・信仰を独自の観点で読み解き、テクノロジーを用いて新しい切り口を示す作品を制作する。アートの文脈を知らない人も広く楽しめる作品性と日本文化に対する独特のデザインから、国内外の新聞・テレビ・ラジオ・雑誌等、世界中の多様なメディアに取り上げられている。主な作品に、家庭用ロボットに死者の痕跡を宿らせ49日間共生できる《デジタルシャーマン・プロジェクト》、100年後の未来の食を架空の回転寿司屋として再現した大型インスタレーション《未来SUSHI》、「最悪な時代をしぶとく生きる人類」のあり方をフィクションを通して描くインスタレーション《ディストピア・ランド》等がある。 |

市原:100BANCHには起業やビジネスを軸に活動する方も多いのですが、私はアートの領域で活動してきた人間です。来歴を説明すると、文系大学在学中の就職活動で100社近くエントリーした末、卒業後はIT企業のデザイナーになりました。しかし、学生時代に制作した「触ると喘ぐ大根」という謎の作品が、新卒2年目の頃に突然SNSで大バズりしてしまいまして。副業で「変な作品」をつくる作家活動を続けていたのですが、いよいよ両立が限界を迎え、会社を辞めてフリーランスのメディアアーティストとして独立しました。100BANCHに入居したのは、独立して3年目となる2019年のことです。
その後、森美術館の「六本木クロッシング2022展」というグループ展への参加をきっかけに、現代アートの世界に興味をもって、34歳で東京藝術大学大学院の修士課程へ進学・修了しました。近年は海外での展示機会も増えているのですが、つくる作品がどんどん大きくなっていて自分の首を絞めているという状況になっております。
作品テーマには「デジタル・シャーマニズム」を掲げていて、日本の民間信仰とテクノロジーを融合させると何が起こるのかを追求しています。例えば、「死後49日間一緒に過ごせるロボット」という作品は、生前に収録した、故人の顔や声などを家庭用ロボットに宿らせ、死後の49日間だけ擬似的に同居できるものです。これは祖母が亡くなり喪に服していた時期に、「自分の親が死ぬまでに何ができるだろう」と考え抜いてつくっていたものでした。

——静かに喪に服す期間を経て、市原の興味は一転し「生命力あふれる奇祭」へと向かいます。
市原:四十九日が明けた瞬間に反動がきまして、「日本の奇祭って、なんて生命力にあふれていて面白いんだ!」と一気に魅了され、日本の祝祭や奇祭について調べるようになりました。特に秋田県のナマハゲ行事などを調べていくうちに、伝統的な儀式や土着的な民間信仰は、一見よくわからない儀式に見えて、実は共同体の維持や慰霊、厄除けといった機能を備えていることに気づき、すごく面白くて夢中になりました。しかし、そうした伝統行事は後継者不足で次々と途絶えています。これらを「古びたもの」ではなく、現在にも未来にも通用する血の通った文化として継続させるにはどうすればいいか。そんな問いから「令和の新しい奇祭を実装したい」と思い立ちました。
そうして仮想通貨を奉納して都市の豊穣を祈る「仮想通貨奉納祭」というプロジェクトで100BANCHに入居しました。2019年当時は、キャッシュレス決済や仮想通貨などが登場し、お金の形が揺らいでいた時期です。神様への奉納も、時代によって物々交換からお米、そしてお金へと変わってきているので、「じゃあキャッシュレス時代の奉納ってなんだろう?」という素朴な発想から、世界中から仮想通貨を集めて地域に奉納し、都市の豊穣を祈る祭礼儀式をつくろうと考えました。神輿を制作するための場所が必要だったこと、そして人を巻き込むコミュニティ型のプロジェクトに挑戦したかったこともあり、オープンに使える場所として100BANCHに応募しました。

——専門家から地域住民まで多種多様な人々を巻き込み、市原は中野区の商店街を舞台に「仮想通貨奉納祭」を実現させました。
市原:地域のお祭りって、いろんなところから少しずつ協賛金を募って開催されているんです。私もプロジェクトを進める上でそれに倣い、あえてクラウドファンディングでお金を集めつつ、「お金を払った上で、さらに祭りの一員として働く」というおかしなリターンも用意してみたところ、蓋を開けたらなんと様々な分野の高名な専門家が集まってくださりました。中野区の川島商店街で祭りをおこなったのですが、アニマトロニクス研究者の中臺久和巨さんと天狗のロボットをつくったり、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんに奇祭にふさわしい「奇酒」を奉納してもらったりと、地域の方々も巻き込んで街全体がだいぶカオスな状態になりました。

市原:私たちがつくったのは「サーバー神輿」というもので、ビットコインを奉納して5回連続で着金すると「ワッショイ・セレブレーション」という演出が発動します。

市原:また、神輿を担ぐ際には「セイヤ!」という掛け声が一般的ですが、私たちは「ペイや!」と言いながら商店街を練り歩き、結果的に2日間で約1万6,000人が集まる大盛況となりました。

市原:「キャッシュレス時代の奉納とは何か」という誰も答えを知らない問いが起爆剤となり、アーティストが一人で作品をつくるのとは違う、様々なコミュニティを越境する動きが自然と生まれました。それがとても面白くて、良い経験になりました。
100BANCHは渋谷駅からすぐという立地が最高で、人が集まりやすく買い出しにもとても便利でした。オープンに制作をしていたので取材もすぐに入り、イベントの集客にもつながりました。また、メンター制度のおかげでハードウェアの専門家に相談できたり、制作の修羅場で殺伐としているときに、他のプロジェクトの方から差し入れをもらって和んだりと、変なことをしている人に対する「愛のあるお節介」が身に染みてありがたかったです。
——一見「意味のわからない」作品をつくり続けた結果、思いがけない仕事の広がりが生まれてきたという市原。そして34歳で自腹で藝大へ入学しさらなる「変態」を遂げます。
市原:この意味のわからない「仮想通貨奉納祭」をつくったことで、「あいつは作品だけじゃなくて、祭りそのものもプロデュースできるらしいぞ!」というブランディングが確立され、作家の枠を超えた仕事がどんどん舞い込むようになりました。仮想通貨奉納祭の翌年には、大阪・関西万博日本館の基本構想策定クリエイターという非常に手堅いお仕事もいただきました。
その後、コロナ禍で飛行機に乗れなくなったストレスから、自宅で機内食をつくる遊びに没頭していたところ、それがきっかけで森美術館の展覧会向けに「未来SUSHI」という作品をつくることになりました。実際の科学者の方にもお話を聞いて、「培養魚肉」や「筋肉真鯛」など、科学的エビデンスと妄想をかけ合わせた全18種類の寿司ネタの回転寿司型インスタレーションを制作しました。このときは、100BANCHにもプラチナスポンサーとして入っていただき、大きく描いた妄想を現実化することができました。

市原:ただ、万博のような大きな仕事をするようになるにつれ、対外的に「ちゃんとした人」だと勘違いされることが増えてきて、危機感を抱くようになりました。「元々は『喘ぐ大根』をつくっていた変態なのに、立派な経歴の真人間だと勘違いされたまま、どんどんその路線で職業人生が続いてしまう……」と。そこで、34歳で東京藝大の修士課程に入学しました。現代アーティストの先生のゼミに入ったのですが、待っていたのは「2年間、日常的にヤギの世話をする」という思わぬ生活でした。ですが、その経験は結果的に知覚の変化や思考を揺さぶる良い刺激になり、元々行政や万博の仕事をやらせてもらっていたのに、最終的にはむしろパラレルワールドの国家や政府を風刺するようなパロディ作品をつくって首席で卒業する、という大人気ないことをやらせていただきました。

—— 100BANCHという多様な人が行き交う場での経験を経て、自身の思考や制作スタイルに変化が生まれたという市原。若者たちへのエールと共に当時の学びを振り返ります。
市原:100BANCHでの活動を通じて、どのように成長、あるいは変化、「変態」したかを振り返ると、まず大きかったのは、若い世代が社会を動かしていく力を間近で見られたことです。私が入居した2019年当時、100BANCHにはよくわからないことに情熱を燃やす変わった若者がたくさんいました。2020年にコロナ禍という予期せぬ変化が起きたとき、真っ先に動いて活躍していったのは彼らでした。自分は上の世代と関わることが多く、若い世代に少し苦手意識すらあったのですが、変化に対して真っ先に動く若者たちの柔軟さやスピード感を肌で知れたことは大きなプラスになりました。
もう1つは、コミュニティと関わることへのアレルギーの克服です。私もそうですが、アーティストは基本的に偏屈なところがあり、人と関わることを億劫に感じる生き物であることも多いです。しかし、100BANCHという色々な人が出入りする環境で揉まれながら色々と話している中で、そうした偏屈さが少し矯正されたような気がします。2019年以降、様々な価値観を持つ人々を巻き込んで共創する「コミュニティ型のプロジェクトが得意な作家」というポジションを私が築けたのも、100BANCHで人と揉まれながら実践した経験がその原型になっていたからだと思います。

市原:一見、何に役立つのか不明な、よくわからないことに謎のエネルギーを注げるのは、本当に若者の特権だと思います。若い皆さんには、気力も体力もある今のうちに、存分にエネルギーを暴れさせてほしいです。皆さん、お互いに頑張りましょう!