• リーダーインタビュー

「翻訳できないことば」が、世界との距離を変えていく——kotoha:友成準也

「Tsogɔɔ (ツォゴー)」
——この日現れた、kotohaのリーダー友成準也の名刺には、そう書かれていました。ツォゴーとはアフリカのトーゴ共和国などで話されているカビエ語で「人生の試練を乗り越える力を持つこと」を意味する言葉です。

自分の中にあったはずなのに、うまく言葉にできなかった感覚に、ふと別の国の言語によって名前が与えられる瞬間。kotohaはそんな「翻訳できないことば」との出会いをつくり、世界との距離をちょっぴり近づける活動をしています。今年、渋谷モディで開催した「#この気持ちに名前があったら展」はテレビやSNSなど各メディアでも取り上げられ、多くの人の関心を集めました。展示以外にも、プロダクトや映像など、様々なアウトプットを生み出しています。

言葉との出会いをきっかけに、世界の分断はどのようにほどけていくのか。友成のこれまでの経験とともに、その問いをたどってみます。

「わかったつもり」が崩れた瞬間

――kotohaは先日、渋谷モディで「#この気持ちに名前があったら展」を開催して、盛況でしたよね。友成さんとしては、手応えはどうでしたか?

友成:ありがたいことに、想像していた以上の反響でした。来場者数が1400人近く、まさかここまで来ていただけるとは思っていなくて。ZIP!で取り上げていただいたり、TikTokでもトレンドに乗ったりして、バズのような状態になったのも驚きでした。

2026年2月に開催した「#この気持ちに名前があったら展」の様子

友成:元々は、机上の空論的に考えていた部分もあったんです。こういうテーマって成立するのかな、ちゃんと届くのかなって。kotohaのはじまりは「消滅言語の保護」で、もっと学術的な内容でした。今の「翻訳できない世界のことば」のようなエンタメ要素もなくて。学術的な硬さをどれだけ削ぎ落として現代の社会に溶け込むかたちにできるか、というのがずっと課題だったんです。でも今回、ちゃんと社会に評価されたというか、現実に落とし込めた感覚があって。それが一番大きな気づきでした。

展示をやっていて印象的だったのが、「何これ、やばい!」みたいな声がいろんなところから聞こえてきたことです。普段あまり言語に興味がない人たちも、純粋に面白がってくれていました。いわゆる“渋谷のギャル”みたいな人たちも来てくれていて「アフリカって1つの国じゃなかったの!?」と驚いてくれるのが、すごく嬉しかったんです。

実際に展示された様々な国の言葉。

――共感できる言葉を入口に、普段距離の遠い国のことも楽しんで知ってもらえたのですね。逆に、以前の「学術的な硬さ」というのはどんな部分だったのでしょうか?

友成:世界では言語の均質化が進んでいて、次の100年で、今世界にある約7,000言語のうち半分が消滅するとも言われているんです。僕は言語の専門家ではないのですが、kotohaの共同代表をしている巴山未麗は言語を専門に研究をしていて、今まで世界中をホームステイしながら50以上の言語を調査してきました。現在はフランスのイナルコ大学に留学して研究を続けています。

それで、「消えゆく言語を守るためには?」「消滅言語の問題について、認知度を広げるには?」「多様でグローバルな世界をつくるには?」と、はじめはストレートなテーマを発信していました。でもそれだと少数の「言語オタク」のような人とのコミュニケーションに限られてしまっていて。

――そういう「多様な言語を保護したい」という意識は、友成さんがアフリカに住まれていたバックグラウンドともつながっているのでしょうか。

友成:実は「アフリカに住んでいたからアフリカの言語を広めたい」とか、そういうきっかけではないんですよね。言語はむしろ苦手な方で……。でも、アフリカでの体験は、kotohaの活動に深くつながっています。

はじまりは9歳のとき、父の仕事の都合で、3年間タンザニアに住んだことです。当時は正直、行きたくなくて、大号泣をして自分は日本に残りました。最初は父が一人で滞在していたのですが、送られてくる写真を見ていたら自然と興味が出てきて、なぜか「ここで行かなければ」と幼いながらに決意しました。そのときに描いた「決意の作文と絵」がいまだに残っています(笑)。

友成が9歳のときタンザニア渡航前に描いた、想像の中のアフリカ。

友成:自分が思い描いていたアフリカは、いわゆるジャングルみたいなイメージでした。「ワラの家に住む?!ライオンと暮らす!?」と自分なりに想像して。今思えばかなりステレオタイプなんですけど、頭の中でそういう予想図をつくっていましたね。でも実際に行ってみると、まったく違っていました。都市もあるし、ジムやプール、エレベーターもある。自分が思っていた「アフリカ」とは全然違う場所だったんです。

当時、現地でお世話になっていたドライバーの方の笑顔がすごく印象的で「なんでそんなに笑っているの?」と聞いたことがありました。すると、「家族がいて、美味しいご飯が食べられて、こんなに幸せなことはないからね。大事なのはお金だけじゃないよ。」と言われて。アフリカというと「貧困から救わなきゃ。助けなきゃ」みたいなイメージがある人も多いと思うのですが、自分も含めて、外から見て勝手に決めつけていたんだな、と気づきました。それ以来、「簡単にわかったつもりにならない。決めつけちゃいけない。」という感覚が、自分の中にずっと残っています。

 

体温42.3度「もう、ゆっくり生きよう」からの復活

――タンザニアで暮らした経験は、言語への興味というよりも、物事の多面性を見ていきたい、という気づきになっていたのですね。

友成:日本に帰国してからタンザニアの話をすると、どうしても「かわいそう」「危ない」とか、「野蛮」とか、そういう受け取られ方をしてしまうことが多くて。でも自分が現地で見てきたものって、そういう単純なものではなかったんです。だって、あんなにみんな笑顔なのに。それをどうにかして伝えたいと思ったのですが、自分の当時の力では何も言い返せなかったのが悔しくて。「言葉だけでは難しいな」と感じて、空気感とか、その場にいる人たちの表情とか、そういうものも含めて伝えられる手段として、まず映像をやってみようと思ったんです。

もう一度アフリカに関わってみたいとも、思うようになりました。それで大学に入学後、アフリカに渡航して映像撮影の活動をするようになりました。

ただ、半年ほどの期間でアフリカの国々をめぐって撮影をする計画で渡航した際、途中で腸チフスにかかってしまって。40度を超える熱が続いて、一番高いときは42.3度まで上がりました。本当に、震えが止まらなくて机やベッドがガタガタいっているような状態で、かなりつらくて。住んでいた頃は病気にかかったこともなかったので、ショックが大きかったです。結果的に、半年間やり切ろうと思っていた撮影も途中で断念して帰国することになってしまいました。いろんなことを投げ出したような感覚でしたし、精神的にも身体的にも、完全にダウンしていたと思います。周りからも応援してもらっていた中で、「なんで自分はこんな病気一つで帰ってきてしまったんだろう」と思ってしまって。ずっと活動的に生きていきたいと思っていたのに、その意欲も一気になくなってしまいました。もう、ゆっくり生きようと思っていました。活動するのもやめよう、と。

――なんだか話が終わってしまいそうですが、そこからどのようにしてkotohaの活動をすることに…?

友成:終わっちゃうと思ったんですけどね(笑)。やめようと思ったちょうど翌日に、未麗(現在のkotoha共同代表)と会う機会があったんです。

友成:未麗は大学が一緒で、最初に出会ったのは、体育の授業でのキャッチボールでした。女子で野球が好きな人って少ないので、「なんでそんなに上手いの?」と聞いたら、ソフトボールをやっていたみたいで。そこから少し話すようになって、「他に何が好きなの?」って聞いたら、「アフリカが好き」と言われて。アフリカと野球が好きな人ってなかなかいないので(笑)、意気投合して連絡先を交換しました。

その後、僕がガーナで撮影をしていたときに、彼女が隣の国のトーゴにいることがわかって。「近いなら会おうよ」とガーナで再会して、なぜかまたキャッチボールをしたんです(笑)。体育で出会って、ガーナで再会して、3回目に会ったのが2024年11月、僕がボロボロになって帰国した日本でした。未麗から「世界の言葉をクリエイティブを通して伝えたいんだけど、何かできないかな」と相談を受けたのがkotohaの活動のはじまりです。

――友成さん個人はどん底の状態でしたが、そこからkotohaはスタートしたのですね。

友成:ただ、正直そのときは、あまり乗り気ではなくて。どちらかというと、自分が何かを引っ張ってやるというよりは、誰かの下について動こうかな、という気持ちのほうが強かったんです。かなりネガティブな状態だったので。未麗がやるなら、その活動に乗っかろう、ついていこう、という感じで。最初は、ここまで続くとも思っていなかったですし、3ヶ月くらいで終わる短期プロジェクトなのかなと思っていました。これ言ったら怒られちゃいそうですけど、ほとんどやる気はなかったというか(笑)。まさか、ここまで続くとは思っていなかったです。

 

言語保護から、日常を彩るエンタメへ

――そこから、どのように今のkotohaのかたちになったのでしょうか?

友成:最初は、冒頭でも話したように「消滅言語をどう守るか」という学術的なテーマから始まっていて。正直、その段階ではあまり手応えがありませんでした。実は、100BANCHに1回目に応募したときは「消滅言語の保護」路線で、方向性もブレブレで迷いまくっていたので、採択されませんでしたね(笑)。

転機になったのは、2025年に実施した小さな展示です。その展示は、世界の様々な言語に関する豆知識や背景を紹介するような内容でした。未麗が集めてきた知識をベースに「この言語にはこういう由来がある」とか、「こういう背景で使われている」といった情報が、空間の中に点在しているような展示で。そこに自分が撮影した写真や映像も組み合わせていましたが、今振り返るとやっぱりまだカタいというか、言語に興味がある人じゃないと刺さらない内容だったと思います。その展示をやったときに、来場者の方と色々話していく中で、「翻訳できないことば」という切り口に初めて着目するようになって。「この“翻訳できない”って、実はすごく面白い要素なんじゃないか」と気づいたんです。ちょうど自分は映像もできたので、それを使って、もっと具体的に体験として伝えられるかたち、エンタメとして成立するかたちに落とし込めるんじゃないかと思って。

そこで初めて、「言語ってエンタメとしても成立するんだ」と気づきました。それまでは、言葉ってどちらかというと“学ぶもの”とか、“守るべきもの”という認識が強くて、どうしても硬いものとして捉えていたんですけど。でも、見せ方次第で、もっと多くの人に届く可能性があるんじゃないかと思って。その路線に定めて、メンバーも増えた頃、もう一回100BANCHにチャレンジしてみたら採択されました(笑)。

2025年4月に実施した展示の様子

――その転換点はkotohaの活動内容の変化でもあったけれど、友成さんの内面の変化でもあったように見えます。

友成:はい。そこから、ただ未麗のやりたいことを一緒にやる、というよりも自分自身で「どうやったらもっと届くかたちにできるか」を考えるようになっていきました。自分は言語に特別詳しかったわけでもないですし、むしろあまり興味がなかった側だったのですが、だからこそ、「自分でも面白いと思えるものは何か」という視点で考えられたのかなと思っています。言語に詳しい人がつくると、どうしても言語に詳しい人に向けたものになりがちだと思うんですけど、自分はそうじゃなかったので。

――そこから、友成さんと同じ映像分野のメンバーや、未麗さんと同じく言語研究のメンバーを集めたというより、多分野のメンバーが集まっているのがkotohaの面白いポイントですよね。

友成:100BANCH入居時は8人で活動していたのですが、今は14人まで増えました。大学や中高時代に出会った友人が中心なんですけど、それぞれが何かしらのプロフェッショナルな強みを持っている人たちで。演技が得意だったり、言葉選びが得意だったり、デザインができたり。何かに強く惹かれているけど、まだそれをやりきれていない、みたいなメンバーが多くて「この人とは合いそうだな」というのは、感覚的にあります。悪い人ではない、というのがまず前提なんですけど(笑)。それに加えて、何かしらの活動意欲だったり、自分の中にあるものを世の中に出したいと思っているメンバーが集まっていて。そういうメンバーを集めてまとめていくのは、自分としてはすごく楽しいです。

――そういう考え方だからこそ、展示以外にも様々なアウトプットをしていけているのですね。

友成:今年のバレンタインは、100BANCH出身の「MAAHA CHOCOLATE」とコラボして、チョコレートを作って販売しました。自分がガーナで撮影をしていたときに、MAAHA CHOCOLATE代表の田口さんもちょうどガーナに滞在していることがわかって、首都のアクラから5時間くらいかけて、実際に現地まで行って営業をしました(笑)。

「翻訳できないことば」をもっと日常に近いかたちで体験してもらえるものがあったらいいなとは常に思っていて。食べ物ってすごく身近なので、そこに「言葉」を掛け合わせることができたら面白いんじゃないかと、このコラボを思いつきました。展示とはまた違って、もっと自然に日常に入り込むというか。

世界は、日常の中に溶け込める!

――異なる分野のメンバーが集まっていると、どのように企画や表現を決めているのでしょうか。

友成:基本的には、「このメンバーがいるからこれをやる」という、人起点の考え方に近いです。例えば、演技ができるメンバーがいるから実写映像をつくるとか、デザインが得意なメンバーがいるからプロダクトをつくるとか。その人の強みを起点にして、「じゃあこれができそうだよね」と決めていくことが多いです。「これをやりたいから、できる人を集める」というよりは、「この人たちがいるから、この表現になる」という感覚ですね。演技、映像、デザイン、言葉、それぞれの領域が混ざることで、単体ではできない表現が生まれている感覚はあります。

あとは、kotohaの中では「楽しむこと」を大事にしています。お金のためにやっているというよりは、それぞれが外で得てきた経験やスキルを持ち寄って、ここで掛け合わせていく、みたいな。「第二の居場所」みたいな感覚があるのかなと思います。

――今は学生団体とのことですが、今後はどのように活動を続けていく予定ですか?

友成:法人化は必要だと思っていて、今ちょうど一般社団にするのか、合同会社にするのか、メンバーで議論しているところです。やっぱり、関わってくれる人も増えてきて、やろうとしていることの規模も大きくなってきたので、きちんと説明できる組織形態にしていく必要があるなと感じています。結構悩んだポイントで、合宿をして今後どうしていくかをみんなで話し合いました。kotohaの活動でメンバー全員が生計を立てていく、というモデルではなくて、それぞれが自分の領域で活動していて、その先で戻ってこられるホームのようなものとしてkotohaを続けていけたらいいな、と落ち着きました。自分も来年には就職予定ですし、他のメンバーもそれぞれの道に進んでいく予定ですが、そこで得た経験や知見を持ち寄って、またここで掛け合わせていくかたちができたらいいなと思っています。

――そうした活動を通して、どんな世界をつくっていきたいと考えていますか?

友成:すごく大きなことをやりたい、というよりは、日常の中でちょっと世界との距離が近くなるような瞬間を増やしていきたいなと思っています。「この言葉、いいな」と思ったことをきっかけに、その国のことを調べてみたりとか。そういう小さな行動が生まれるだけでも、見えてくる世界は変わると思うので。

元々、自分自身も「伝えたいのに伝わらない」という感覚をずっと持っていました。だからこそ、いきなり深く理解してもらおうとするのではなくて「ちょっと気になる」とか「なんか面白い」というところから入るきっかけをつくることが大事だと思っています。「ポレポレでいこうよ〜!」と面白半分で言葉をつかってみるみたいに。ポレポレってスワヒリ語で「日常やゆったりとした時間を楽しむ」という意味なんです。あとは、kotohaのメンバーとよくつかうのは「エリンメック」。トルコ語で「やらなきゃいけないことを、ただやりたくないという理由で、やらない」という意味の単語です(笑)。

そうやって会話の中で自然につかわれるようになったり、知らないうちに世界の言葉が日常に溶け込んでいるような状態がつくれたら、面白いなと思っています。

 

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